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古民家移築再生の心象

骨董市巡りを覚えたのは学生の頃でした。なぜ「古物」に魅かれたのでしょう。思い起こせば、物心がつく前から我が家とは別に古風な住まいに身を置くことがありました。そんな記憶の影響ではなかったかと。骨董には及ばないものの、古物好きが高じていつしか日本家屋の意匠に惹きつけられるようになっていました。

 

そのような折、一冊の本に出会いました。降幡廣信氏の「民家の再生 降幡廣信の仕事」です。以来、いつの日かは古い民家に「住まう」と心密かに願ったのでした。

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そうして、この民家に出会いましたのは2003年のこと。道路拡張工事により民家を解体するという情報が知人から寄せられました。所在は福島県中通り地方。会津の気候を少なからず受けた積雪が多少ある所です。約140年前(明治10年頃)に造り酒屋の別宅として建てられた茅葺片二階38坪程の家で、材をふんだんに用いた豪壮で上等な民家が近隣に存在していることに驚かされました。

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外観は漆喰と木格子が印象の瀟洒な佇まいで、室内は140年経過の建物とは思えない程にそっくりとしており梁と柱は欅の漆塗り。手の込んだ雅味ある組子が施された書院造りと欄間や彫り物がされた神棚や仏壇など、すべて一つ一つに建主と職人の思いが感じられる素晴らしいものでした。また扇垂木といったこの辺りでは珍しい様式の屋根など、職人(大工)を遠方から呼び寄せての建築であったことが察せられます。(後にこの移築に携わった棟梁によると、新潟県の大工職人による建築であると聞きました。)

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私はこのように贅を尽くした日本古来の建物が廃棄されるとなると「日本の職人の伝統技術の足跡をも失わせてしまうのではないか」「日本人は昔から日々の生活に美を見いだし、探求していたことの証明を残して行かなければ。」と、おこがましくもそんな思いを持ってしまいました。

そうして移築の段となり、建具や襖も傷みが殆どありませんから既存の建具を用いて間取りを変えず建築しましたが、日本家屋は弱点が多いもの。廻り廊下は、古い民家独特の板雨戸一枚ですから開け放たれた白中は外界そのもので、まずは温かく快適にすることを心がけ、床暖房を施しました。また寒さもさることながら防犯上の問題も生じ、そこで意匠を損なわぬよう木枠サッシを施し腰壁としました。

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移築再生から15年。この家と時を共にして、さらに深く魅了されたのは光の陰翳美です。長い庇で陽光を遮断した薄暗い座敷。その畳に透けて映し出された麻の葉文様の陰影。軒下に現れた小川の波紋柄。ほの暗い家の中で息を飲むような美しい瞬間に出会います。この家で古人が見たであろう景色を140年後の現代人も同じ美意識に心を寄せる。ほの暗い住宅事情が光の美学を取り入れたものと認識させられます。

 

無暦日の立地環境は小川が流れ、木々が茂る林に面しており、自然の恩恵を受けた四季折々の眺めは感性を研ぎ澄ましてくれます。この空間で穏やかなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

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